ウラジミール・ナボコフ

『ロリータ』の衝撃を忘れかけて久しいころ、ウラジミール・ナボコフというロシアの作家の研究をされている先生の講演を聴きに行った。そこでなんと!『ロリータ』と運命の再会を果たす。このウラちゃんがあのロリコン映画の原作を書いた作家だというではないか!おお!若かりし当時のおぞましい記憶が蘇ってくる。しかし先生は『ロリータ』におけるウラちゃんの文体の素晴らしさを絶賛し、れぞれの登場人物がなぜあのよぅな行動をしたのかは、全て合点がいくとかなんとか大真面目に講演している。私は感心したね。ロリコンも、このようにかく語れば、文学という高尚なものにまで昇華できるのかと。
でもまあ、せっかく講演を聴きに行ったんだし、私もロリコンに縁があるのかもしれないと思い、ウラちゃんの『ロリータ』を読んでみることにした。本は映画とまた違うしね。食わず嫌いはいけない。うん、さあ、どれどれ。冒頭を読んでみましょう。

『ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。』

「ぎえー!!!!」奇声をあげて本を放り投げる私。初手からこれかい!いや、もう気持ち悪すぎて読破は無理だわと早々に諦める。腰の炎とか口蓋とか舌とか、もうなんなの。映画よりひどいわ。と散々悪態をついて、ふと、この気持ち悪さ、以前にも感じたことがあると気付く。そう、これも20代の時に読んだ田山花袋の『蒲団』の最後だ。

『蒲団』


妻子持ちの中年作家(時雄)の、住み込みでやってきた若い女学生(芳子)への恋心を描く物語。時雄が
30代半ばで、芳子は20歳前後なので、ロリコンとは言えないかもしれないけれど、時雄はとにかく芳子が処女であることに異様に興奮している。作家先生として偉そうにしながら、芳子を見ていやらしい妄想をしたりする。しかし芳子が実は処女ではなかったと判明した途端、怒り狂って芳子を追い出してしまう。そして芳子の使っていた寝衣を取り出し、その匂いを嗅ぎながら芳子の蒲団の中で大泣きするというお話。

途中途中「うー」とはなったけれど、なんとか読み進み、最後で「ぎえー!!!」と本を放り出した当時の私。この感触を『ロリータ』の冒頭で思い出した。でも花袋ちゃんはさ、この「ぎえー!!!」を最後に持ってきたんだから、まだ良心的だよね。ウラちゃんはひどいよ。冒頭に持ってきたらさ、その先読めないじゃん。お金返してほしい。

『神よ憐れみたまえ』

私的ロリコン3大小説の最後『神よ憐れみたまえ』小池真理子著。これはわりと最近の小説ですね。

両親を殺害された百々子お嬢ちゃんがいるのだけど、両親を殺したのは母親の弟、つまり百々子ちゃんの叔父(佐千夫)さん。佐千夫叔父さんは百々子ちゃんに恋しちゃっていて、でもそれを隠してハンサムで紳士的な叔父さんとして、百々子ちゃんに接しているのね。そして隠れて百々子ちゃんをスケッチしたり想いをノートに綴ったり、堪えきれなくて百々子ちゃんの衣服の一部をくすねたりするわけ。しかしある日その佐千夫コレクションが百々子母(つまり佐千夫の姉)に見つかり、百々子には二度と会わせないと糾弾されてしまう。そこで発作的に姉を殺し、ついでに義理兄も殺してしまうお話。まあこれは物語の一部であって
主節は百々子ちゃんの一生という大河ドラマ的な小説なんだけれども。

さあでました。ここでもロリコン。ロリコンここに極まれり。だけど私はね、佐千夫にはちょいと同情したの。ロリコンって自分ではどうしようもない癖だし、百々子ちゃんに手は出していないわけじゃない?なんとか佐千夫コレクションで我慢していたんだから、そんなに責められることかなあと。そんな感想をこの本を読んだ私の母親に話したら「何言ってるの!自分の娘がそんな目で見られてるって思ったら、母親としては耐えられないわよ!それに結局殺人まで犯してるじゃない!ダメよ!!」と一喝されてしまった。はあ、それを言われたら身も蓋もないです。その通り。
「生理が始まったら女としては終わりなんですよ」とロリの巨匠が言ってましたっけ。

投稿者

いずみん

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