抗がん剤

私が大学病院で働いていたのは20年以上前のこと。
当時は診療科名もまだ古くて「婦人科」と呼ばれていた病棟で働いていた。
昔はさ、外科は1外(いちげ)、2外(にげ)とか、内科は1内(いちない)とか2内(にない)とか呼んでたな。今は消化器外科とか、糖代謝内科とか言うんでしょう?お洒落。そういえば乳腺外科とかなかったな。乳がんは1外が担当してたんかな?
そんな話は置いといて。その「婦人科」には、子宮頚がん、子宮体がん、卵巣がん、絨毛がん、外陰がん、子宮筋腫、卵巣腫瘍といった女性器に関わる病気の様々なステージの様々な治療の方が入院していた。
良性の方は手術してバイバイだったけど、悪性の方は手術して退院した後、抗がん剤で再び入院し、副作用が落ち着いたころ一度退院し、抗がん剤投与2週間後くらいの白血球が下がる時期に感染予防でまた少し入院して退院。これを1か月くらいの間隔で繰り返す。この当時は、どのステージであってもまず手術、その後抗がん剤という順番しかなかった。私が大学を辞めるころに術前抗がん剤っていう方法が出始めたような。
そして抗がん剤は入院して投与する時代。吐き気を抑える薬も、まだ良いものが開発されていなかった時で、副作用に苦しむ患者さんをたくさんみてきた。また大学病院だからか、ステージが1とか2の方はいない。ステージ3以上の深刻な部類の患者さんばかり。
もちろん治療が功を奏して治っていく患者さんもいたよ。だけど、もともと大分進行してしまっている患者さんが多い。治療が効かずに進行してしまう方、治療後すぐに再発してしまう方もいた。
緩和ケアとか在宅医療もさほどなかった時代だから、悪くなるとまた入院してきて最期は病院で、という流れ。私はそのころ20代。今でいうAYA世代の患者さんもけっこういた。初発の時から最期まで、親しくなった患者さんが弱っていく姿を見るのは、耐え難いものだった。
そして、けっきょくこうなってしまうのだったら、あんなに辛い抗がん剤になんの意味があったの?という思いが強くなっていった。抗がん剤を受けなければ、元気なうちに好きなことができたのに、と。
そのうち、私がもしがんになったとしても、抗がん剤は受けないんだという気持ちになってしまっていた。

実際は

そんな決意を固めて20年、自分自身ががんになってしまった。まだ術後病理の結果は出ていないけれど、分かっていた。ハーツー陽性の場合、抗がん剤が必要なんだと。ネットも検索しまくった。乳がんになってネット検索していたら必ず行きつくであろう「乳がんプラザ」も読みまくった。浸潤径が5mmであれば抗がん剤は必要ないと書いてあった。藁にもすがる思いだった。もしかして、私は抗がん剤を免れるのではないのだろうかと。そんなもんもんとした気持ちで迎えた病理結果の日。


浸潤性乳管がん
非浸潤がん2.6cm その中に浸潤がんが2か所 それぞれ1.2cmと0.7cm
リンパ節転移なし
核グレード1
脈管侵襲なし
切断断端陰性
ki-67 40%
エストロゲン受容体プロゲステロン受容体陽性
ハーツータンパク 3+
ステージ1


はい、思いっきり5mm超えてるよね。そして2か所もあるのね。逃れられない、そう思った。
とにかく私はがんが発見されてから、ドクター栄作に抗がん剤だけは絶対に嫌だ!と言い続けていたので、
栄作は私の顔色をうかがうように、治療方針を示してくれた。
部分切除なので、放射線は必要。ホルモン受容体なのでタモキシフェンを使う。抗がん剤は使った方がいいけど、どうしても嫌なら、分子標的薬だけを投与する方法もある、と。

結論

さて、この結果と説明を受け、私は比較的素早く答えた。「抗がん剤やります」と。
ねえ、人間てこういうもの。いざ自分の身に起きたとき、抗がん剤をやれば根治を目指せますよ、再発のリスクが数パーセント下がりますよと言われて、やりませんと答える勇気のある人はどれくらいいるのであろうか。そして分かった。誰だって抗がん剤なんてやりたくない。大学病院で抗がん剤を使って一生懸命治療していた彼女たちは、治ると信じて希望を持って治療を受けていたんだって。もし万が一、不幸にも治療が奏効しなかったとしても、やることはやったと思える。外から結果だけを見て「やらなければ…」なんて思いながら看護していた私は、なんという愚か者。そして自分のこととなると、あっさり主義主張を翻して抗がん剤を受けるという…あきれちゃう。バカバカ!
ということで、9月下旬から抗がん剤が始まることになった。
その結論に至ったことは「人間だもの、いずを」ってことで許してほしい。

投稿者

いずみん

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